夜の歌

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(2016/10 紅楼夢12発行、表紙 ひそなさん(スアリテスミ))

 

 そのようにして小説同人誌の各フォーマットを一通り作り終え、当初から考えていた『夜の歌』に取りかかりました。短編を建材として大きな構造物をつくる、色々な角度から様々な人物を扱った百科全書的な短編集にするというのが目標で、小説に小説とつけるような側面を含んだ少々不遜なタイトルになっています。もちろんそれは夢のことでもあります。

 ブライアン・ウィルソンがある時期に掲げていた「ティーンエイジ・シンフォニー」のようなものが作りたかったということと、『夜の歌』なのでマーラーの7番になぞらえて、全体が季節毎の5パートに分けられています。そのまま季節にかけてエピグラフが『地獄の季節』で、これで最後にする気満々という様子ですが現実にはまったくそうなっていません。

  構造と内容が大きな二つの円環をなしています。それは1月から月ごとに並んだカレンダーのような12の短編だということと、最後に出てくるすべての人の夢を収めた巨大な輪としての図書館です。また大きな構造としての円環の中に飛び石のような小さな輪があります。妹紅の話がそれです。あとは直線的なパチュリーのラインと包括的なドレミーのラインとがあり、それらが最後に交わります。

 ファン同士の二次創作の交易というのは結局、共有しているフィクションへの他者の視座との重複と差異の確認作業によるそのフィクションの捉え直しだということは言うまでもありませんが、私家版としてその総体をキャプチャーしようという試みをこのようにして別の言及と引用の隠喩のタペストリーによって行うことこそが、東方というものそのものの同様の性質に対するものであるという意味において生産的言及になるはずだという考えがありました。

 ひそなさんが描いてくださった表紙は毎回そうなのですが本当に素晴らしくて、斜めの枠については特に指定をしていなかったのですが、夢のクロニクルが収められた図書館の情景がさらにパッケージされているというフラクタルな構造に少しして気づいて感動しました。またテクスチャーが本当に圧倒的ですね……。

 

1.「すべての言葉は言葉」

 コルタサルの「すべての火は火」が好きで、タイトルと二つの話が途切れなく往復するという手法をそのまま拝借しています。あらゆる意味でこれが自分の典型だと思います。コミュニケーション不全のバリエーションというか。紺珠伝は良いですね。

2.「パレード」

 1つ目とモードが通底した裏表のようなもので、構成としてはこの最初2つがメインテーマを提示する役割を担っています。

3.「猫のいた春」

 ここで小屋が燃えているというのと1つ目で小屋の外が燃えているというのが、最終的に2つのラインが結合することを予告しています。

4.「象の出現」

 タイトルは春樹です。広義のミステリを書きたいという意図があり、興味を別の方に引っ張っておいて、想定される読者層の嗜好の方をひっくり返すという場外乱闘のようなやり口です。こういうことをあまり何度もやると信用をなくします。

5.「灰とガラス細工」

 ポップスです。

6.「第三世界は光の中」

 これはやや若書きの部類で、奇妙なまでに素直な時期というか今見ると無防備すぎるきらいがありますが、正直さを買って入れました。

7.「最高の夏」

 時間軸を大きく飛ばした四季というのは今考えてみると森博嗣です。時間軸のジャンプを無意識のレベルでも出すために、秋と春と夏はそれぞれ年単位の時間を置いて書いています。

8.「出来事」

 合同に寄稿したもので、これは本当に志賀直哉の「出来事」そのままです。ただ、電車とその安全装置が担っていた役割を祭りと霊夢に委譲していることで、博麗霊夢がインフラだということを言っているようです。

9.「長い土曜日のレミングの夢」

 これも合同に寄稿したものです。半年ガルシアマルケスだけを読んで書きました。キャプチャーできているかはよくわかりませんが、文章の圧迫感と情景のダイナミクスが相乗していて、少なくとも乗り物と積載物とのあいだに有機的な連関があるのではと思います。

10.「果物」

 4つ目と並んで広義のミステリを書こうとしています。1冊目よりさらに前にプロトタイプとしてコピー本を作ったのですが、その際に入れたのが4つ目とこれで、テクニカルな部分で考えていることは同じです。つまり、数を書いていくと幾つかの類型に収斂しがちな短編のオチというものをどのようにクリシェから解放するかということで、前者については前述のとおり話としては普通に落としてメタレベルで裏切っています。こちらは直球勝負で、オチのなさそうなところで突然落とすということです。

11.「盲目の秋」

 これだけきわめて若書きなんですが、あまり大きく変えずに持ってきました。創想話ではサイトのギミックを使ったポップスだったんですが、それをすべて剥ぎ取ってもう一度出すことが一種の言明だろうと思われます。タイトルは筋肉少女帯の「サーチライト」を逆手に取って中也を持ってきたもので、つまりはそういう時期です。

12.「夜の歌」

  短編集というものをフィクショナルにも構造的にも回収しているということがまずあり、その回収の形態において1冊目と対照をなし、その空間の位置づけと構造において2冊目と対照をなしています。その上でラストが1つ目のラストと対照をなしています。

 

残響 東方プログレッシヴ・ロック合同

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(2016/05 例大祭13発行、表紙 水田ケンジさん(AQUARIA MUSICS))

 

 合同誌にはディレクションの強いものと弱いものがあり、このグラデーションは読み手から見た作品の統一性の強弱、書き手(特にビギナー)にとっての福祉の範囲の弱強をそれぞれ大まかに規定します。それらの総合がコミュニティに対して還元する影響の質と量と部位を決定します。

 この本は前者です。たぶん僕には前者しかできません。後者の健全な運営には巨大な博愛精神と鷹揚さが必要だからです。

 このことを考える上では、そもそも僕たちは書き手と読み手とコミュニティ成員という3つの立場を常に並行しつつ往復していることを理解しなければならないでしょう。自分がどの立場から話をしているのか混同したまま進んだ場合、問題に突き当たらずにすむのはひどく困難です。

 また、ディレクションにも3つの段階があります。枠組みの設定と人の集め方と制作上の擦り合わせです。3つ目において僕はほとんど何もしませんでした。僕はただ原稿を誰よりも楽しみにしている第一の読者として待つだけで良かったし、実際にそれは満たされました。そういう幸福がそう頻繁に生じるものではないということを知っています。良い物になったのはひとえに参加者の理解と熱意のおかげです。関わってくださった皆さまに改めて心から感謝します。

 

1.「科学世紀のスキッツォイド・レディー」 藍田真琴さん

 扱う題材のみならず、振り切れ方そのものが「21st Century Schizoid Man」だという強烈なオープナー。「まってく獺祭」は今でも獺祭を見るたびに思い出して笑ってしまいます。

2.「狂奔」 あさぎさん

 「Money」に焦点を当てた一作。金がなくなるという不安につけ込んで金を巻き上げる河童たちへのシニカルなまなざしが正調鈴奈庵節。

3.「楽園へ向かうツール」

 ここで主催は、メインストリームではなかったけれど一瞬大きな光を放ったある若く無軌道な共同体に寄せて、遙か昔にメインストリームから外れたプログレそのものと東方そのものとあともう一つ幾分我々に近い話をすべきだろうということです。

4.「Ghostron of Years」 柊正午さん

 「異常な行動さえしなければ」という但し書きで括られた自由だけが、まだ人間に博物誌を運転する余地を残してくれる。シンギュラリティの先には魔術、言い換えれば脅威としての自然の復権があるということです。恐らくは。

5.「銀色の残光」 Pumpkinさん

 アクロバティックでありながらエモーショナルだという二次創作の一つの究極だと思います。あまりにも完璧です。

虹の麓が乾く頃

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(2015/11 紅楼夢11発行、表紙 ひそなさん(スアリテスミ))

 

 タイトルは「他人の面倒が見られる時期」というようなニュアンスを含んでいると思います。3冊をセットで考える上で、同じようなものばかり出してもつまらないというか、その時点でのそのフォーマットの結論は一冊で提示しきるべきだという自己制約もあり、3種目にしようというところがありました(厳密にはこの間に合同誌を出しているため4種目です)。

 それは短い短編集、長編、長い短編集ということですが、真ん中のこれが一番難渋しました。それは単純に2万文字を超える話を書いたことがなかったということです。

 テクニカルな問題が解釈と立て付けによって緩和を図られています。エピグラフマザーグースのラインはThe Beatlesが「You Never Give Me Your Money」で引用しているお馴染みのものですが、それをアリス・マーガトロイドMiles Davisの「Seven Steps To Heaven」とかけることで、全体を7章立てにして半分連作短編集のように書いてしまおうということです。

 前作の「神様がいなくても」の時点で既にそうだったんですが、内容としてはBildungsromanを書きたいという時期にあり、長編という柄を使って腰を据えてやってみようということになりました。その上で一人称というカメラ設定の内部でひねったことがやってみたくて、つまりBildungsromanと言いながら、この話の中で顕著に変化するのはアリスではありません。

 この題材は創想話で最初の頃に書いていた2つの話のリベンジのようなところがあります。「さよならファービー」と「スコール」で、特に前者は振り返るのがかなり厳しいです。1つ目はあまりにも皮相的で話にならず、2つ目はそれほどひどくはありませんが単純に設定的に古くなっています。鈴奈庵が出てきて解像度が上がり、自分も少なくとも後から見返して自分でうんざりしないものを書けるようになってきて機が熟したというところです。

 前作から出てきた構造への執着は、短編集でないため外部に凝る部分が少なかったこともあって、内部へと流れ込んでいます。図書館と、内部の人間関係における入れ子構造がそれです。内容を前提として構造を考え、構造を前提として内容を熟成させ、という比喩の反復ですべてが進んでいくようになりました。ホールが良ければ良い音が響くし、良い音が出せそうならそれに合った良いホールが想像できるという話です。

 長編は結局語り口のテクスチャーに馴染みを持ってもらえないと遠くまで走れないし、途中で語り口の車線変更ができないので、そういう意味での制約が大きい気がしています。曲芸飛行の長編はすぐに飽きてしまう気がするというか。単に習熟の問題かもしれませんが。

蝶の裂け目

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(2015/05 例大祭12発行、表紙 ひそなさん(スアリテスミ))

 

 まず『夜の歌』という短編集を作ろうというのが先にあり、そこから逆算して道筋を考えた結果、それを三部作の最後にしようということになりました。『夜の歌』というのは題が漠然としすぎていていきなり出すものではないというのがその理由の一つです。

 三部作というのは高橋源一郎の60年代三部作が念頭にあり、メタフィクションの部分では繋がっているけれど別に話が繋がっているわけではないということです。最終的にはディティールにおいて幾つかの細い橋を渡しはしましたが。

 それまで創想話や合同誌に単発で出していて、ここから際限なく構造に凝るということが始まりました。つまり、短編集という形式にわざわざする、お金を出してもらうものを刷るのであれば、それは単なる話の集積でなく、その総体として別のもっと大きな何かを言いうるものにしなければならないと考えたということです。

 ここでは好きなものの骨組みに自分の別のものを肉詰めしていくというやり方を試したくて、というかそこからすべてを始めたくて、Pink Floydの『炎』というアルバムがあるのですが、その構造を下敷きにしています。それはつまり5本詰めで1つ目と5つ目はパート分けされた繋がった話で、4つ目が表題作であるということです。

 左右対称構造に見えて実はそうではないというのが全体を貫くモチーフで、それはタイトルにも現れていますし、大小明暗各所に出てきます。それはたぶんもちろんコミュニケーションについての話でもあります。

 

1.「神様がいなくても(Parts I-V)」

 内と外というところで後半とのパート分けがされています。誰も見てくれなくなるというところからすべての話を始めているわけでとにかく暗い。

2.「君が気にするから」

 増殖のモチーフはこの後飽きずに延々と繰り返していますがその最初です。ポップスをやろうとしている節があります。英題をAphex Twinから取っていて、そのCome To DaddyのMVから情景を引っ張ってきています。小説でしか書けないことを書こうとしていて、つまり顔が同じだという表現は他の媒体ではうまく言い切れないと思います。

3.「夢の溶液」

 対称の核で、ごろっとしています。この頃まだドレミーが出ていなかったです。紺珠伝体験版はこの夏です。書き出しはRadioheadのLet Downの「Disappointed People, Clinging On To Bottles」のラインです。

4.「蝶の裂け目」

 映像的な話です。2つ目との対称はこちらで外から中を示唆していることとあちらで中から外に言及していることで、非対称はこちらではカウンターパートとの両方が登場しますがあちらでは片方しか出てこないということです。また、それとは別に秘封のクリシェのなぞり方で何かを言おうとしている節があります。

5.「神様がいなくても(Parts VI-IX)」

 内外の外の話です。祭りで本全体の登場人物を回収していて、それは『夜の歌』の最後と回収の形態において対称をなしています。

ご案内

 過去に出した同人誌についての蛇足をします。ついでにツールとコンテンツの話もできれば。

 特に印刷したものについては、バルトを引っ張り出してくるまでもなく作品はそれを手に入れた時点で読者のもので、ここには解釈を一意に定める意図はありません。

 その上、出してから何年か経ったものについては、それを書いたときの自分とここで注釈を加える自分はもはや他人です。そのため僕にはそもそも解釈を制限する能力がありません。

 単純に好きな同人誌の話をしているというのが一番近いです。

 そして、厚かましいですが、持っている人に良ければもう一度開いてみてほしいというのが主な願望です。よろしくお願いします。